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久保幸江 氏(くぼゆきえ)

歌手[日本]

2010年 9月8日 死去心不全享年87歳

久保幸江 - ウィキペディアより引用

久保 幸江(くぼ ゆきえ、1924年〈大正13年〉1月24日 - 2010年〈平成22年〉9月8日)は、日本の女性歌手。
本名は篠原 幸江(しのはら ゆきえ)。
芸者経験はないが、芸者風歌手として活動した。
経歴[編集] 1954年 1924年(大正13年)、日本統治下の台湾・屏東市で生まれる。
1942年(昭和17年)屏東高等女学校を卒業後、家族とともにシンガポールに移る。
当時のシンガポールは日本占領下にあり昭南島と称していたが、家族はそこで日本軍相手の料亭を開いていた。
久保はこの店で好きな流行歌を歌い、また軍の慰問にも赴き、歌を歌っていたという。
1946年(昭和21年)、日本に引き揚げた後、翌1947年(昭和22年)、日本コロムビア社の新人歌手募集の新聞広告を見て応募、1500人の応募者の中から合格した。
1948年(昭和23年)、「千鳥なぜ啼く」でデビューしたが不発に終わる。
民謡を歌謡曲風にアレンジした2曲目の「おこさ節」も市井の注意を引かないまま終わったが、民謡もうまくこなせる新人として社内で注目を集めた。
ところで、このころ古賀政男は「炭坑節」に興味を持っていた。
古賀はこれをさらに都会的な宴会ソングに仕立て上げ、1949年(昭和24年)、「トンコ節」として久保と楠木繁夫のデュエットとして発売させた。
当初はさっぱり売れなかったが、都内、地方を問わずあらゆる営業先のステージで幾度となく一人で歌いまくったため、じわじわと売上が伸び、翌1950年(昭和25 ……

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久保幸江さんが亡くなってから、13年と323日が経ちました。(5071日)