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仁明天皇(にんみょうてんのう)

第54代天皇[日本]

(嘉祥3年3月21日崩御)

(ユリウス暦) 0850年 5月6日 死去

仁明天皇 - ウィキペディアより引用

仁明天皇(にんみょうてんのう、810年10月25日〈弘仁元年9月24日〉 - 850年5月6日〈嘉祥3年3月21日〉)は、日本の第54代天皇(在位:833年3月22日〈天長10年2月28日〉- 850年5月4日〈嘉祥3年3月19日〉)。
諱は正良(まさら)。
嵯峨天皇の第二皇子。
母は橘清友の娘の橘嘉智子(檀林皇后)。
後年の史料になるが、『日本三代実録』元慶6年5月14日条(逸文)に、真言宗が承和2年(835年)に仁明天皇から年分度者3名を賜って「九月廿四日天皇降誕之日辰」に金剛峯寺で試度(得度候補者の試験)を行ったと記されていることから、生年月日が弘仁元年9月24日であったことが判明する。
正子内親王(淳和天皇皇后)は同父母の妹でありかつ同年の生まれのため、双子の姉と推測される。
ただし、正子内親王の生年は『日本三代実録』元慶3年23日条の崩御記事に記された享年からの逆算であり、天皇と内親王が双子であることを明言した史料はないこと、内親王の誕生を大同4年(809年)とする説もあることに注意を要する。
平安京遷都後に誕生した最初の天皇である。
略歴= 天長10年(833年)2月28日、叔父に当たる淳和天皇の譲位を受けて即位。
当初、淳和天皇の皇子恒貞親王を皇嗣に立てたが、承和9年(842年)の承和の変により、恒貞は廃せられ、代わりに仁明天皇の第一皇子道康親王(文徳天皇)が立太子した。
これには自らの息子に皇位を継がせたい帝の意思と、道康親王の伯父である藤原良房の陰謀があった ……

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