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室生犀星(むろうさいせい)

詩人[日本]

1962年 3月26日 死去享年74歳

室生犀星 - ウィキペディアより引用

室生 犀星(むろう さいせい、1889年〈明治22年〉8月1日 - 1962年〈昭和37年〉3月26日)は、日本の詩人・小説家。
石川県金沢市出身。
本名は室生 照道(むろう てるみち)。
別号に「魚眠洞」、「魚生」、「殘花」、「照文」。
別筆名は「秋本 健之」。
日本芸術院会員。
姓の平仮名表記は、「むろう」が一般的であるが、犀星自身が「むろう」「むろお」の両方の署名を用いていたため、現在も表記が統一されていない。
室生犀星記念館は「「むろお」を正式とするが、「むろお」への変更を強制するものではない」としている。
生後すぐ養子に出され、室生姓を名乗った。
養母は養育料で享楽しようとするような女で、犀星は生母の消息をついに知ることなく、貰い子たちと共同生活を送る。
1915年、萩原朔太郎・山村暮鳥らと詩誌「感情」を創刊。
1918年に刊行した『愛の詩集』と『抒情小曲集』は詩壇に新風を吹き込んだ。
1919年、小説「幼年時代」「性に眼覚める頃」を発表し、小説に活動の場を移した。
長い沈黙のあと、1934年に「あにいもうと」を発表。
第2次世界大戦後も沈黙があったが、1956年の『杏っ子』で復活をとげ、その後は小説家として名を上げた。
経歴= 1889年(明治22年)、金沢市裏千日町に生まれる。
加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種と、その女中であるハルの間に私生児として生まれた。
生後まもなく、生家近くの雨宝院(真言宗)住職だった ……

室生犀星が亡くなってから、63年と6日が経過しました。(23017日)

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