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木村荘十(きむらそうじゅう)

作家[日本]

1967年 5月6日 死去享年71歳

木村荘十 - ウィキペディアより引用

木村 荘十(きむら そうじゅう、1897年〈明治30年〉1月12日 - 1967年〈昭和42年〉5月6日)は東京府出身の作家。
牛鍋チェーン店「いろは」経営者木村荘平の妾腹の十男として、東京市深川区(現在の東京都江東区)の「いろは」第7支店に生まれる。
4歳のとき実母が愛人と失踪したため、東京市浅草区(東京都台東区)吉原日本堤の"いろは"第9支店に預けられ、そこが人手に渡ると、ただちに裏の家へと預けられて育った。
慶應義塾大学中退。
第一次世界大戦中に渡英し、のち帰国。
異母兄の第2代木村荘平と不和を生じて骨董店の店員となり、政治家の愛人と密通して共に渡満。
南満州鉄道の事務員や新聞記者(満州商業新報主筆、満州日日新聞政治記者)などを経て、大連で「満蒙評論社」なる雑誌社を経営。
満洲では実母と再会し、彼女の死に水を取った。
24歳から10年ほど続いた満洲での生活を捨て、内縁の妻と共に帰国。
その後、小説の執筆に専念し、1932年(昭和7年)に「血縁」で第11回サンデー毎日大衆文芸賞を受賞。
ただ、世に出る機会には恵まれず、10年近くものあいだ、困窮生活を余儀なくされた。
そして1941年(昭和16年)、「雲南守備兵」で白井喬二と吉川英治に認められ、第13回直木賞を受賞した。
他の作品に自伝小説『嗤う自画像』などがある。
30年余り連れ添った内縁の妻と別れたのち、習っていた小唄の師匠と結婚。
昭和30年代以降、発表する作品数が減り、表舞台か ……

木村荘十が亡くなってから、58年と277日が経過しました。(21462日)

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