木村荘八(きむらしょうはち)
洋画家、随筆家、版画家[日本]
1958年 11月18日 死去享年66歳
木村 荘八(きむら しょうはち、1893年〈明治26年〉8月21日 - 1958年〈昭和33年〉11月18日)は、日本の洋画家、随筆家、版画家。
生涯=
牛肉店帳場木村の生家を基に描かれた。
奥の帳場に座っているのは木村自身である。
新宿駅
牛鍋チェーン店のいろは牛肉店を創立経営した木村荘平の妾腹の八男として、東京市日本橋区吉川町両国広小路(現在の東京都中央区東日本橋)のいろは第8支店に生まれる。
父の死後、浅草のいろは第10支店と京橋のいろは第3支店に移り、帳場を担当しながら兄・荘太の影響により文学や洋書に興味を持ち、小説の執筆などをして過ごす。
著書『東京の風俗』所収の自伝的文章「私のこと」によると、旧制京華中学校4年生の頃から学校へはほとんど行かず、芝居見物と放蕩に熱中したという。
1910年に同校を卒業した。
旧制中学卒業後の翌1911年、長兄の許可を得て白馬会葵橋洋画研究所に入学し画家を目差すこととなる。
翌1912年、岸田劉生と知り合い親交を深め、斎藤與里の呼びかけで岸田らとともにヒュウザン会の結成に参加した。
1913年にいろは牛肉店から独立し、美術に関する著作・翻訳を行う傍ら洋画を描き注目された。
1915年、劉生たちと共に草土社を結成、1922年まで毎回出品する。
二科展や院展洋画部にも出品を重ね、1918年に院展出品作『二本潅木』で高山樗牛賞を受賞した。
1922年、春陽会創設に客員として参加し 1924年に同正会員となりそこで作品の発表を ……
木村荘八が亡くなってから、66年と3日が経過しました。(24110日)