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小山いと子 氏(こやまいとこ)

作家[日本]

1989年 7月25日 死去享年89歳

小山 いと子(こやま いとこ、1901年7月13日 - 1989年7月25日)は日本の作家。
高知県長岡郡大篠村(現・南国市)篠原出身。
出生名は池本 イト、結婚後は小山 イト。
綿密な調査に基づき社会問題を扱った作品が多く、清純なヒューマニズムと社会性が特徴である。
「執行猶予」で第23回直木三十五賞を受賞した。
『読売新聞』紙上の人生相談「人生案内」回答者を務め、皇太子妃美智子に関する小説連載中止騒動に巻き込まれたことでも知られる。
『週刊文春』 1959年12月14日号文春歌舞伎『京鹿子娘道成寺』の一場面。
右から、加藤芳郎、平岩弓枝、小山いと子、芝木好子、五味康祐、平林たい子、森田たま 人物= 福岡女子師範学校(現・福岡教育大学)を卒業。
在学中に歌人の橋田東聲の門下生となる。
1920年(大正9年)、19歳で父親により結婚を強要されるが、相手を好きになれず、男性に対する反逆心を持ち始める。
橋田の主宰する短歌雑誌『覇王樹』グループの一人で妻子ある島根県警察特高課の男性と恋愛をし、後年その経験を自伝的小説『海は満つることなし』に書いた。
1928年からは『火の鳥』同人となる。
1941年(昭和16年)、40歳で離婚。
戦争中の従軍をはさんで1945年(昭和20年)に同じ男性と再婚するが、1954年(昭和29年)ふたたび離婚した。
処女作は1933年の小説「海門橋」で、『婦人公論』の懸賞に当選した。
1950年に「執行猶予」(中央公論2月号)で第23回直木賞を受賞し ……

小山いと子さんが亡くなってから、35年と119日が経ちました。(12903日)