加藤芳郎 氏(かとうよしろう)
漫画家[日本]
2006年 1月6日 死去呼吸不全享年82歳
加藤 芳郎(かとう よしろう、1925年〈大正14年〉6月25日 - 2006年〈平成18年〉1月6日)は、日本の漫画家、放送タレント。
『週刊文春』 1959年12月14日号文春歌舞伎『京鹿子娘道成寺』の一場面。
右から、加藤芳郎、平岩弓枝、小山いと子、芝木好子、五味康祐、平林たい子、森田たま
来歴=
生い立ち=
東京府豊多摩郡代々幡町(のちの東京都渋谷区)生まれ。
8人兄弟の6番目。
父親は岩手県胆沢郡水沢町(のちの水沢市→奥州市水沢区)出身で、東京市役所に勤務していた。
母親は埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町(のちの川口市→鳩ヶ谷市→再度川口市に復帰)の出身。
加藤は幼いころから絵を描くのが好きで、父親は加藤の描く絵を見ては「美術学校に入れてやろう」とほめるのが常だったという。
また、『のらくろ』『冒険ダン吉』などの児童漫画作品に親しんだ。
加藤が10歳の頃に父親が定年を迎え、嘱託契約に切り替わって以降は、兄たちが家財を質入れして食料を調達するなど、生活が苦しくなり、美術学校入りの夢はいったん断念する。
病院の給仕として昼間に働きながら、旧制東京府立第六中学校夜間部に通学。
そのころ、1939年(昭和14年)、雑誌『アサヒグラフ』の投稿欄に漫画が掲載され、賞金を受け取ったことをきっかけに、プロ漫画家の夢を抱く。
『週刊少国民』『オール讀物』『モダン日本』などで入選を重ね、近藤日出造主宰の『漫画』で一等入選するに至った。
冨田英三によれ ……
加藤芳郎さんが亡くなってから、18年と319日が経ちました。(6894日)