近藤日出造(こんどうひでぞう)
漫画家[日本]
1979年 3月23日 死去享年72歳
近藤 日出造(こんどう ひでぞう、1908年2月15日 - 1979年3月23日)は、日本の漫画家。
本名は近藤 秀蔵。
長野県更級郡稲荷山町出身(読みは同じ)。
戦中から昭和後期にかけて政治家の似顔絵を主とする1コマの政治風刺漫画を中心に描いた。
似顔絵は、手塚治虫が「似顔絵の名手」と評する腕前だった。
略歴=
生い立ち=
近藤が各所に文章として残した略歴は誇張や創作が加わっているらしく、書いた時期や媒体によって内容がまちまちであり、特に少年期の就職についての詳しい時期や順序は不明であるが、峯島正行の調査などにより、少なくとも以下のことが判明している。
近藤は1908年(明治41年)、長野県更級郡稲荷山町(のちの千曲市稲荷山)で生まれた。
生家は衣料品・雑貨商の「丸三商店」。
6人兄弟の次男。
高等小学校を卒業後、東京・浅草に住む叔父(母の弟)の紹介で、日本橋三越図書部の店員となるが、半年足らずで脚気をわずらい、帰郷。
その後長野市内の洋服店に仕立職人として奉公に入るが、当時の商家の風潮だった「主人はうなぎの蒲焼きを食べているのに、俺たちは味噌汁と漬物だけ」という差別的境遇に耐えられず、これも辞職している。
その後は家業に専念した。
実家にいたある日、近藤は洋服の入っていた空き箱に熱した火鉢を当てて焦がし、絵を描いていた。
それを見た近藤の父が、『朝日新聞』の懸賞漫画に応募することをすすめ、入選した近藤は賞 ……
近藤日出造が亡くなってから、45年と244日が経過しました。(16680日)