岡本一平(おかもといっぺい)
漫画家[日本]
(妻は作家・岡本かの子、息子は岡本太郎)
1948年 10月11日 死去脳内出血享年63歳
岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年〈明治19年〉6月11日 - 1948年〈昭和23年〉10月11日)は、日本の画家・漫画家・文筆家・仏教研究家。
妻は歌人・小説家の岡本かの子。
長男は芸術家の岡本太郎。
義弟に洋画家の池部鈞がおり、甥は俳優の池部良。
来歴・人物=
津藩に仕えた儒学者、岡本安五郎の次男で書家の岡本可亭(本名:良信、通称:竹二郎)と母・正の長男として北海道函館区汐見町に生まれる。
東京・大手町の商工中学校から東京美術学校西洋画科に進学し、藤島武二に師事する。
この時美校の同級生、中井金三の仲介で大貫カノ(岡本かの子)と知り合い、後に和田英作の媒酌で2人は結婚するが岡本家に受け入れられず、2人だけの新居を構えた。
1910年(明治43年)に東京美術学校西洋画撰科を卒業し帝国劇場で舞台美術の仕事に関わった後、夏目漱石から漫画の腕を買われ、当時朝日新聞に連載中の正宗白鳥の小説「生霊」で挿絵を担当していた名取春仙の代筆を務めたのを機に、社会部長の渋川玄耳の口添えで1912年(大正元年)に朝日新聞社に入社、8月1日号に寄稿したこま絵『黒きリボンと愁たき顔』で漫画記者として同紙にデビューを果たす。
以後、朝日新聞を中心とする新聞や雑誌で漫画に解説文を添えた漫画漫文という独自のスタイルを確立し、大正から昭和戦前にかけて一時代を築き上げ、美術学校時代の同級である読売新聞社の近藤浩一路とともに「一平・浩一路時代」と評 ……
岡本一平が亡くなってから、76年と41日が経過しました。(27800日)