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田口和美(たぐちかずよし)

医学者[日本]

1904年 2月4日 死去享年66歳

田口和美 - ウィキペディアより引用

田口 和美(たぐち かずよし、天保10年10月15日(1839年11月20日) - 1904年(明治37年)2月4日)は、日本の医学者。
字は士行、号は節堂。
経歴= 1888年、プロイセン王国ベルリン市にて日本人留学生と。
前列左より河本重次郎、山根正次、田口、片山國嘉、石黑忠悳、隈川宗雄、尾澤主一。
中列左から森林太郎、武島務、中濱東一郎、佐方潜蔵(のち侍医)、島田武次(のち宮城病院産科長)、谷口謙、瀬川昌耆、北里柴三郎、江口襄。
後列左から濱田玄達、加藤照麿、北川乙治郎 武蔵国埼玉郡小野袋村(現在の埼玉県加須市)出身。
医師の家に生まれ、江戸に出て佐藤一斎や塩谷宕陰のもとで漢学を学んだ。
その後、林洞海のもとで蘭学を学んだ。
1862年(文久2年)より下野国佐野で開業。
1869年(明治2年)、大学東校に入り、ウィリアム・ウィリスらについて化学・解剖学・生理学を学んだ。
東京医学校教授、東京大学医学部教授、東京帝国大学医科大学教授を歴任。
1887年(明治20年)、ドイツに留学し、翌年に医学博士の学位を得た。
墓所は染井霊園(1イ-1-12)。
著書= 『解剖攬要』(英蘭堂、1881年)

田口和美が亡くなってから、121年と57日が経過しました。(44252日)

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