藤井厚二(ふじいこうじ)
建築家[日本]
1938年 7月17日 死去享年51歳
藤井 厚二(ふじい こうじ、1888年(明治21年)12月8日 - 1938年(昭和13年)7月17日)は、日本の建築家・建築学者。
広島県出身。
建築環境工学の先駆者の一人。
東京帝国大学工科大学建築学科卒業。
経歴=
広島県福山市の酒造家・金融業の「くろがねや」の次男として生まれる。
経済的にも文化的にも恵まれた環境で育ち、福山中学校(現・福山誠之館高校)、第六高等学校を経て1913年(大正2年)、東京帝国大学工科大学建築学科を卒業後、竹中工務店に就職。
大阪朝日新聞社などの設計を手がけ、1919年(大正8年)まで勤務。
同社退職後から約9ヶ月間、欧米諸国を巡遊。
この際、環境工学への関心を高めた。
欧米から帰国した後の1920年(大正9年)、同郷の武田五一が創設した京都帝国大学工学部建築学科に招かれ1926年(大正15年)に教授となった。
赴任した1920年、藤井は天王山の麓、京都府大山崎の山手に1万坪もの土地を購入。
この地でほぼ2年ごと計4回、自邸を建て、それを知人に譲り、また自邸を建てるということを繰り返し、これらの住宅に実際住むことにより日本の風土に適した住宅の在りようを追求した。
1928年(昭和3年)に完成させた現存する最後の1棟は「聴竹居」(ちょうちくきょ)と命名され、近代住宅建築の名作として名高い。
この木造平屋の住宅で藤井は環境工学というアプローチから日本の気候・生活・風土と西洋的な空間構成とを融合させる優れた手法を提示した。 ……
藤井厚二が亡くなってから、86年と127日が経過しました。(31539日)