税所敦子(さいしょあつこ)
歌人[日本]
1900年 2月4日 死去享年76歳
税所 敦子(さいしょ あつこ、1825年4月23日〈文政8年3月6日〉 - 1900年〈明治33年〉2月4日)は、日本の歌人、女官。
幼少時より短歌の才能に優れ、「明治の紫式部」と呼ばれた。
後年は宮中に勤め、明治天皇と皇后の寵愛を受けた。
また夫の実家での生活や宮中での貞女としての振る舞いや、宮中に仕えるまでの波乱万丈な生涯でも知られている。
京都鴨川東錦織村(後の京都府京都市上京区岡崎町)出身。
歌集に『御垣の下草』『御垣の下草拾遺』がある。
経歴=
京都の良家の武士である林篤国の長女として誕生した。
幼少時より、心優しい上に頭が良く、父の篤国から寵愛された。
敦子が6歳[* 1]のとき、篤国が師である青年僧の福田行誡、歌人の八田知紀や香川景樹らを招き、歌会を開いた。
行誡が余興のつもりで敦子に「そなたも歌を詠んでみよ」と勧めると、敦子は臆すことなく歌を詠んだ。
わが家の軒にかけたるくもの巣の 糸まで見ゆる秋の世の月
居合わせた一同は「6歳にして歌の才能がある」と、一斉に称賛した。
篤国は敦子に才能を感じて、毎朝神仏に礼拝した後、幼い敦子の頭を撫でながら「女ながらも、名を残せ」と励ました。
篤国は師の福田行誡に、敦子の訓導を願った。
敦子は行誡のもとで『四書五経』『万葉集』『源氏物語』などを学んだ。
また行誡は敦子の才能を伸ばすために、寺で催される歌会に敦子を連れて行き、大田垣蓮月や高畠式部といった歌人 ……
税所敦子が亡くなってから、124年と290日が経過しました。(45581日)