松村景文(まつむらけいぶん)
絵師[日本]
(天保14年4月26日没)
1843年 5月25日 死去享年65歳
松村 景文(まつむら けいぶん、安永8年〈1779年〉 - 天保14年4月26日〈1843年5月25日〉)は、日本の江戸時代後期に活躍した絵師。
概要=
本姓は源氏、名字は松村。
初名は直治。
景文は諱。
字は士(子)藻、通称要人。
号は華渓、呉春が亡くなった後は三果堂の号を継ぎ、画室の堂号とした。
四条派の祖・呉春(松村月渓)の27歳差の異母末弟にして弟子で、早くから呉春について学んだ。
四条に住み、妙法院に出仕した。
呉春の画風を受けつぎながらそれを一層洗練させ、デッサン力をしっかりと堅持しつつ、筆致は軽く、余白を増やし、柔和で淡白な作風が特徴である。
より装飾的、耽美的になった景文の作品は、大衆層に床うつりが良い無難な掛物として非常な人気を得ることになった。
景文の死後あまりに多くの贋作が世に出回ったため、これを憂いた門人、横山清暉、磯野華堂、富田光影、森義章、八木奇峰ら5名が互いに師の偽筆を作らないことを確認し合った弘化2年(1847年)の誓約書が残されている程である。
ここで5名は、作品を書き損じや無落款のまま世間に出さないことを誓っているが、逆説的に考えると、無落款や書き損じでも世間に出せば師の作品と認められた事実を表しており、如何に彼らの様式・筆法が師に似ていたかを物語っている。
また、呉春が日本的山水画に長じたのに対して、景文は日本的花鳥画の写生を得意にした。
同門の岡本豊彦と比較され、「花鳥は ……
松村景文が亡くなってから、181年と180日が経過しました。(66290日)