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税所篤(さいしょあつし)

薩摩藩士、官僚、子爵[日本]

1910年 6月21日 死去享年84歳

税所篤 - ウィキペディアより引用

税所 篤(さいしょ あつし、文政10年11月5日(1827年12月22日)- 明治43年(1910年)6月21日)は、日本の武士(薩摩藩士)、官僚。
子爵。
内国事務権判事、西日本各地の県知事・県令、元老院議官、宮中顧問官、枢密顧問官等を歴任した。
通称は喜三左衛門、容八、長蔵。
号は巌舎、鵬北。
初名は篤満、後に篤信とも名乗った。
剛直をもって知られ、旧幕時代は王事に奔走し、一時は西郷隆盛、大久保利通と共に薩南の三傑と並び称された薩摩閥の重鎮である。
人物・来歴[編集] 幼年・青年時代[編集] 薩摩藩士・税所篤倫の次男として生まれる。
幼少期の生活は貧しいものであったが、実兄の篤清(乗願)が吉祥院住職として島津久光の寵遇を受けるに従い、税所家の暮らしぶりは好転した。
藩主・島津斉彬に認められて勘定所郡方、次いで三島方蔵役に任じられた。
改革派である精忠組の創設メンバーとして、幼少期からの親友で郷中仲間であった西郷隆盛や大久保利通、吉井友実らと行動を共にする。
幕府がオランダ海軍士官を招いて長崎海軍伝習所をつくると斉彬は薩摩藩から十数名の藩士を選抜して派遣しているが、税所もその内の一人に選ばれている。
同じ薩摩藩からは川村純義や五代友厚なども派遣されていた。
安政5年(1858年)11月、西郷隆盛が僧月照と共に鹿児島湾に入水した際、蘇生した西郷が意識を取り戻すまで、枕頭にて看病を行う。
その後西郷が奄美大島に流されると ……

税所篤が亡くなってから、114年と29日が経過しました。(41668日)