山藤章二 氏(やまふじしょうじ)
イラストレーター[日本]
2024年 9月30日 死去老衰享年88歳
山藤 章二(やまふじ しょうじ、1937年〈昭和12年〉2月20日 - 2024年〈令和6年〉9月30日)は、日本の似顔絵作家、風刺漫画家、イラストレーター、笑芸プロデューサー。
タレントや話題の人物を現代の世相に合致させた作風が特徴とされる。
東京市目黒区出身。
略歴=
1937年東京府東京市(※ 現在は東京都特別区区域)目黒区生まれ。
四人兄弟の二男。
父は目黒駅の助役をしていたが、生後4ヶ月で父を亡くし、貧しい母子家庭で苦労して育つ。
母は目黒駅の売店(現キヨスク)で23年間働いた。
戦争中の1943年、親類のいた三重県伊勢市に疎開したが地元の子供たちからいじめを受ける。
戦後に東京目黒へ戻る。
三木鶏郎に傾倒し、冗談工房への参加を夢見る。
立正中学校・高等学校に進み、高校で美術部に入部。
美術部時代の親友に多田ヒロシがいる。
1956年と1957年、東京芸術大学図案科の入試に2年連続で失敗。
家が貧しかったため、親戚から借金して武蔵野美術学校デザイン科に入学。
芸大への思いを断ち切れず、武蔵野美大に籍を置きながら画塾に通ってデッサンの練習を重ねるも、計3度にわたる失敗で芸大入学を断念。
しかし、このときデッサンを猛勉強したことが、後々になっても山藤の確かな技術を支えることとなった。
1957年、武蔵野美大在学中に日本宣伝美術会展で特選を受賞する。
1960年に大阪国際フェスティバルで海外向けポスター・コンテストで特賞を受賞し、 ……
山藤章二さんが亡くなってから、52日が経ちました。