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児玉誉士夫 氏(こだまよしお)

右翼活動家、フィクサー[日本]

1984年 1月17日 死去享年74歳

児玉誉士夫 - ウィキペディアより引用

児玉 誉士夫(こだま よしお、1911年〈明治44年〉2月18日 - 1984年〈昭和59年〉1月17日)は、日本の右翼運動家。
自称CIAエージェント。
暴力団・錦政会顧問。
太平洋戦争中に海軍航空本部のために物資調達を行い、終戦時までに蓄えた物資を占領期に売りさばいて莫大な利益を得た。
この豊富な資金を使って、戦後は分裂状態にあった右翼を糾合し、鳩山一郎(自民党の初代総裁、元内閣総理大臣)などの大物政治家に政治資金を提供した。
「政財界の黒幕」や「政財界のフィクサー」と呼ばれた。
日韓国交正常化交渉に関与した。
出生= 戸籍上は、福島県安達郡本宮町(現本宮市)中条45番地に生まれた。
父の酉四郎の旧姓は山田といい、上杉家の家臣であった山田彦右衛門の子兵太夫が丹羽長重に仕え、以降、兵蔵-為貞-貞常-為英-為栄-為芳と続いた。
祖父山田兵太夫は明治維新後、二本松の副参事になったが、父の代になって、同じ二本松藩の御典医児玉家から望まれて養子となったため、児玉姓にかわった。
ただし、これらの家系は後に児玉誉士夫自身によって作られた「設定」のようである。
実際のところ、児玉誉士夫の出自は全く不明である。
幼少時は酷い貧乏暮らしで、父親と二人で掘っ立て小屋に住んでいたとされる。
7歳で母親を亡くし、8歳で朝鮮に住む親戚の家に預けられ、京城商業専門学校を卒業した後に日本に戻って向島 (墨田区)の鉄工所に住み込んだ。
それから ……

児玉誉士夫が亡くなってから、40年と265日が経過しました。(14875日)

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