覚如(かくにょ)
浄土真宗僧侶、本願寺第3世[日本]
(観応2年1月19日示寂)
(ユリウス暦) 1351年 2月23日 死去享年81歳
覚如(かくにょ、覺如)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての浄土真宗の僧。
浄土真宗本願寺派第3世宗主・真宗大谷派第3代門首・真宗木辺派第3代法主。
大谷本願寺住職。
親鸞の末娘である覚信尼の子、覚恵の長男。
母は周防権守中原某の娘。
親鸞の曾孫にあたる。
長男は存覚、次男は従覚。
孫は第4世善如。
「大谷廟堂」の寺院化(本願寺の成立)に尽力し、本願寺を中心とする教団の基礎となった。
本願寺の実質的な開祖。
『報恩講私記』、『本願寺聖人親鸞伝絵』(『御伝鈔』・『親鸞伝絵』)、『執持鈔』、『口伝鈔』、『改邪鈔』など多数撰述し、法然の正統な後継者としての親鸞と浄土真宗内における本願寺教団の優位性を主張した。
生涯=
年齢は、数え年。
日付は、文献との整合を保つ為、旧暦(宣明暦)表示(生歿年月日を除く)とし、南北朝時代の元号は、北朝(京都)で表記する。
誕生=
文永7年12月28日(1271年 2月16日 )、京都に生まれる。
幼名は、「光仙」。
文永9年(1272年)、母と死別する。
文永11年(1274年)、5歳。
この頃より仏門の道を志すようになる。
建治3年(1277年)頃、隣房の慈信房澄海(ちょうかい)の元、内外の聖典の修学に励み、天台宗「初心集」を伝受される。
弘安5年(1282年)(弘安7年〈1284年〉とも)、延暦寺の宰相法印宗澄(しゅうとう)に入門。
天台の教えを受ける。
弘安6年(1283年)、興福寺一乗院の信昭 ……