大野伴睦(おおのばんぼく)
政治家、衆議院議長[日本]
1964年 5月29日 死去心筋梗塞享年75歳
大野 伴睦(おおの ばんぼく、本名:大野 伴睦〈おおの ともちか〉、1890年〈明治23年〉9月20日 - 1964年〈昭和39年〉5月29日)は、日本の政治家。
東京市会議員を経て衆議院議員となり当選13回、衆議院議長、北海道開発庁長官、日本自由党幹事長、自民党副総裁を務めた。
典型的な党人政治家として知られ、「伴ちゃん」の愛称で親しまれた。
また、「政治は義理と人情だ」「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」などの名言を残した。
タカ派の政策集団・青嵐会を結成した中川一郎の政界での師匠として知られる。
生涯=
生い立ち=
岐阜県山県郡谷合村(現在の山県市)で、大野直太郎の四男として生まれた。
兄2人(直太郎の次男、三男)は早世した。
母・国枝は臼井半四郎の二女。
父・直太郎は谷合村村長、助役などを務め、その半生を村政のために尽くしたので私産をほとんど蕩尽した。
呉服類も扱っていたが、親戚知友からの借銭でことを足すようになり、その負債の返還に迫られて苦しんだという。
高等小学校を卒業後名古屋陸軍幼年学校を受験するも不合格となる。
1908年(明治41年)に上京する。
1910年(明治43年)に明治大学に入学する。
1911年(明治44年)の初夏に急性盲腸炎となり入院し、休学する。
やがて護憲運動に関心を持ち、1913年(大正2年)に大正政変の暴動に加わったことで逮捕され留置所に入り、明大からも退学処分を受けた。
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大野伴睦が亡くなってから、60年と176日が経過しました。(22091日)