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吉田茂(よしだしげる)

政治家、内閣総理大臣、日本自由党総裁[日本]

1967年 10月20日 死去心筋梗塞享年90歳

吉田茂 - ウィキペディアより引用

吉田 茂(よしだ しげる、1878年〈明治11年〉9月22日 - 1967年〈昭和42年〉10月20日)は、日本の外交官、政治家。
位階は従一位。
勲等は大勲位。
旧姓・竹内。
内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)(第45・48・49・50・51代)、外務大臣(第73・74・75・78・79代)、農林大臣(第5代)、第一復員大臣(第2代)、第二復員大臣(第2代)、衆議院議員(7期)、貴族院議員(勅選議員)、皇學館大学総長(初代)、二松学舎大学舎長(第5代)を歴任した。
東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのち、内閣総理大臣に就任し、1946年5月22日から1947年5月24日、及び1948年10月15日から1954年12月10日まで在任した。
優れた政治感覚と強いリーダーシップで戦後の混乱期にあった日本を盛り立て、戦後日本の礎を築いた。
ふくよかな風貌と、葉巻をこよなく愛したことから「和製チャーチル」とも呼ばれた。
戦後に内閣総理大臣を一旦退任した後で再登板した例は、吉田と安倍晋三の2人のみである。
政治活動以外の公的活動としては、廃止された神宮皇學館大學の復興運動に取り組み、新制大学として新たに設置された皇學館大学において総長に就任した。
また、二松学舎では、金子堅太郎の後任として学校法人の理事長にあたる舎長に就任した。
なお、内務官僚を経て貴族院議員となり、米内内閣の厚生大臣や小磯内閣の軍需大臣を務めた吉田茂は、同時代の同姓同名の別人で、当時からよく間違えられた。

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吉田茂が亡くなってから、56年と162日が経過しました。(20616日)