白洲次郎 氏(しらすじろう)
官僚、実業家、東北電力会長[日本]
1985年 11月28日 死去享年84歳
白洲 次郎(しらす じろう、1902年(明治35年)2月17日 - 1985年(昭和60年)11月28日)は、日本の実業家。
貿易庁長官(初代)。
連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。
吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど多くの企業役員を歴任した。
生涯=
生い立ち=
白洲次郎は1902年(明治35年)2月17日、貿易商白洲文平・芳子夫妻の二男として生まれた。
祖父に役人、実業家、神戸女学院の創設者の一人である白洲退蔵がいる。
白洲家は元三田藩の士族の出である。
転居と初等・中等教育
次郎の出生地は東京としている本もあれば兵庫県武庫郡精道村(現・芦屋市)としている本もあるが、いずれにせよ白洲家は兵庫県川辺郡伊丹町(現:伊丹市)に転居し、次郎は精道尋常小学校に通うようになった。
御影師範学校附属小学校高等科(現在の中学校)、1914年(大正3年)兵庫県立第一神戸中学校(神戸一中。
現在の高等学校に相当)に入学し、サッカー部に所属した。
当時、アメリカ車ペイジ・オートモビル(Paige Automobile )のグレンブルックを父親から買い与えられており、級友等を同乗させている写真が残っている。
このペイジ・グレンブルックは、同型車が東京都町田市にある旧居武相荘(後述)で展示されている。
神戸一中時代には宝塚少女歌劇養成会(現 ……
白洲次郎さんが亡くなってから、39年と16日が経ちました。(14261日)