三宅一生 氏(みやけいっせい)
ファッションデザイナー[日本]
2022年 8月5日 死去肝細胞がん享年85歳
三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、1938年〈昭和13年〉4月22日 - 2022年〈令和4年〉8月5日)は、日本のファッションデザイナー。
広島県広島市東蟹屋町(現在の同市東区)出身。
経歴=
生い立ち=
広島市立尾長小学校在学中7歳のとき被爆。
広島大学附属東雲中学校~広島県立広島国泰寺高等学校卒業。
小学校高学年のときの担任が絵の先生で、絵を描く楽しさを教えてもらう。
広島の美術館や岡山県倉敷の大原美術館にもよく通った。
ルオーが好きだったという。
周囲から「将来は絵描きになるの?」とよく聞かれたが、絵描きは貧乏イメージがあったから、大人になってからの職業にしようとは考えなかった。
また当時は被爆都市を励ますという意味での宝塚の広島公演がよくあり、5歳上の姉に連れて行ってもらった。
当時の宝塚のトップスターは、越路吹雪や乙羽信子だった。
姉の影響は大きく、姉が洋裁学校から『ヴォーグ』や『ハーパーズ バザー』などのアメリカのファッション雑誌を持ち帰り、その写真を筆と墨で模写したりした。
小・中・高と一貫して美術部に所属。
焼け野原から復興する広島の街、とりわけ通っていた国泰寺高校の近くにあった丹下健三設計の広島平和記念公園や、建設時に「なぜ原爆を落としたアメリカ人が広島に橋を作るのか」と大きな議論を呼んだイサム・ノグチ設計の平和大橋のデザインに「これがデザインか」と感銘を受ける。
そり返った「東」 ……
三宅一生さんが亡くなってから、2年と108日が経ちました。(839日)