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市川房枝 氏(いちかわふさえ)

婦人運動家、政治家、参議院議員[日本]

1981年 2月11日 死去心筋梗塞享年89歳

市川房枝 - ウィキペディアより引用

市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年〈明治26年〉5月15日 - 1981年〈昭和56年〉2月11日)は、日本の婦人運動家、政治家。
元参議院議員(5期)。
1924年に「婦人参政権獲得期成同盟会」を結成。
婦人参政権運動を主導した。
終戦直後の1945年11月3日には「新日本婦人同盟」を結成。
公職追放を受けるも、解除後の1950年に同団体を「日本婦人有権者同盟」に改称し、国会と女性を結び付ける運動を推し進めた。
1953年に参議院議員に初当選。
政界浄化、女性の地位や権利の向上に尽力した。
生涯[編集] 生い立ち[編集] 愛知県第二師範学校女子部時代(1910年) 愛知県中島郡明地村字吉藤(現:一宮市明地)に生まれた。
男2人、女4人の6人きょうだいで、市川は三女。
誕生名は「ふさゑ」。
家は代々農業を営み、市川が生まれた頃は7、8反の土地をもっていた。
父の藤九郎は、1848年(嘉永元年)生まれで、一時商売をしていたが、基本的に農夫として一生を過ごし、暴力をふるう男だった。
母のたつは、1859年(安政6年)生まれで藤九郎の隣村の農家に生まれた女性である。
母は19歳の時に11歳年上の藤九郎と結婚した。
父親は自分の生業の農業に否定的であった。
教育熱心の父親は、長男の藤市を小学校の教師から東京の政治学校の学生、米国の大学の留学生に育てた。
また長女は奈良県の女子師範学校生になった。
房枝の妹は名古屋市の淑徳女学校に進学した後に渡米、アメリカの日系人 ……

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市川房枝が亡くなってから、43年と166日が経過しました。(15872日)