三宅艶子 氏(みやけつやこ)
作家、評論家[日本]
1994年 1月17日 死去享年81歳
三宅 艶子(みやけ つやこ、1912年11月23日 - 1994年1月17日)は、日本の作家、評論家。
人物=
文化人や芸術家によって結成された「安保批判の会」の安保反対のデモ。
旗の前にいる人物は左から深尾須磨子、青野季吉、野上弥生子、朝倉摂。
その後ろに写っているのは壺井重治、岸輝子、佐多稲子、三宅艶子ら。
昆虫学者・三宅恒方と作家・三宅やす子の娘として東京府に生まれ、文化学院に学ぶ。
阿部金剛と結婚後は阿部 艶子を名乗るが、1958年以後は旧姓の三宅を使用した。
おしゃれ、男女関係、女性の生き方などについて文筆活動を行い、テレビにもよく出演し、人生相談の回答などをした。
1960年代には、アジア・アフリカ作家会議日本評議会の事務長代理もつとめた。
家族・交友=
娘の三宅菊子は母と同じく作家となり、広津和郎の松川事件取材に同行し、被告の一人と結婚した。
息子は彫刻家の阿部鷲丸(母の代から宇野千代と親しかった)。
著書=
『母子童話集』三宅安子共著 実業之日本社 1923
『朝餐 随筆集』阿部艶子 スタイル社出版部 1940
『比島日記』阿部艶子 東邦社 1944
『白鳥の舞』阿部艶子 東方社 1950
『亭主教育』阿部艶子 三笠書房 1952
『きづな 阿部艶子創作集』学風書院 1954
『亭主教育』阿部艶子 学風書院 1954
『午前二時 私だけの時間』阿部艶子 学風書院 1955
『愛情について』阿部艶子 北辰堂 1955
『密会』阿部艶子 鱒書房(コバルト新書)1955
『若いいのち』阿部艶子 東都書 ……
三宅艶子さんが亡くなってから、30年と308日が経ちました。(11266日)