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東久邇宮稔彦王 氏(ひがしくにのみやなるひこおう)

皇族陸軍大将、内閣総理大臣[日本]

(歴代首相在任の最短期間の54日で総辞職)

1990年 1月20日 死去享年104歳

 - ウィキペディアより引用

東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年〈明治20年〉12月3日 - 1990年〈平成2年〉1月20日)、のち東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)は、日本の旧皇族、陸軍軍人。
陸士20期・陸大26期。
最終階級は陸軍大将。
位階勲等功級は従一位大勲位功一級。
第二次世界大戦後、終戦処理内閣として内閣総理大臣(在職1945年8月17日-1945年10月9日)に就任。
憲政史上唯一の皇族内閣を組閣した。
内閣総理大臣として、連合国に対する降伏文書の調印、軍の解体と復員、行政機構の平時化、占領軍受け入れなどを実施した。
しかし自由化政策を巡るGHQと内務省による対立とGHQによる内政干渉に抵抗の意志を示すため、歴代内閣在任最短期間の54日で総辞職した。
内閣総理大臣退任後の1946年(昭和21年)に公職追放となり、1947年(昭和22年)に臣籍降下した。
1950年(昭和25年)には新興宗教「ひがしくに教(英語版)」を立ち上げて一時教祖となった。
しかし手がけた事業はことごとく失敗した。
歴代内閣総理大臣の中の最長寿者かつ初のセンテナリアン(102歳48日=37303日で逝去)。
千葉工業大学の創設に当たってはその発案者となった人物でもある。
香淳皇后は姪、明仁(上皇)は大甥に当たる。

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