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江藤淳 氏(えとうじゅん)

評論家[日本]

1999年 7月21日 死去自殺享年67歳

江藤淳 - ウィキペディアより引用

江藤 淳(えとう じゅん、1932年〈昭和7年〉12月25日 - 1999年〈平成11年〉7月21日)は、日本の文芸評論家。
東京工業大学、慶應義塾大学教授を歴任。
学位は、文学博士(慶應義塾大学)。
日本芸術院会員。
本名:江頭 淳夫(えがしら あつお)、身長160センチ。
学生時代に発表した『夏目漱石』(1956年)で注目され、『作家は行動する』(1959年)、『小林秀雄』(1960年)で文芸評論家としての地位を確立。
『アメリカと私』(1965年)など文明批評も多い。
概要= 戦後日本の著名な文芸評論家で、小林秀雄没後は文芸批評の第一人者とも評された。
20代の頃から長らく文芸時評を担当し、大きな影響力を持った。
20代で『奴隷の思想を排す』、『夏目漱石』を上梓し、特に前者の『奴隷の思想を排す』は、日本の近代的自我に対する批判を描き出し、吉本隆明を始め多方面の文学者に大きな影響を与え、1960年代初頭から、大江健三郎・司馬遼太郎らと共に気鋭の新人として注目され始める。
アメリカ留学前後から、文壇・論壇での活動を本格化させ、1966年(昭和41年)に遠山一行・高階秀爾・古山高麗雄の4名で『季刊藝術』を創刊・主宰。
1969年(昭和44年)末から約9年間に渡り毎日新聞の文芸時評を担当。
『小林秀雄』(講談社)により新潮社文学賞受賞、『漱石とその時代』(新潮選書)で菊池寛賞と野間文芸賞を受賞している。
代表作『成熟と喪失』は第三の新人の作品を素材にして文学における母性 ……

江藤淳さんが亡くなってから、25年と76日が経ちました。(9207日)

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