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片山哲(かたやまてつ)

政治家、内閣総理大臣、日本社会党委員長[日本]

1978年 5月30日 死去享年92歳

片山哲 - ウィキペディアより引用

片山 哲(かたやま てつ、1887年〈明治20年〉7月28日 - 1978年〈昭和53年〉5月30日)は、日本の弁護士、政治家。
栄典は従二位勲一等。
社会民衆党書記長(初代)、衆議院議員(10期)、社会大衆党執行委員、日本社会党書記長(初代)、日本社会党委員長(初代)、内閣総理大臣(第46代)、民主社会党常任顧問を歴任した。
来歴・人物= 第二次世界大戦前= 和歌山県西牟婁郡田辺に生まれる。
和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校(現・京都大学)を経て、一家で同郷の人物で「軍艦行進曲」の作詞者・鳥山啓宅に寄宿、東京帝国大学法学部独法科卒業。
卒業後、YMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設、弁護士として活動した。
社会民衆党の結成に参加し、書記長に就任した。
1930年(昭和5年)の第17回総選挙に旧神奈川2区から出馬して初当選。
以後非連続ながら当選10回を数えた。
1932年(昭和7年)の社会大衆党の結成に参加し、同党では中央執行委員会の委員などを務めた。
無産政党の運動の流れとしてはいわゆる「社民系」として活動し、1940年(昭和15年)安部磯雄・西尾末広らと共に反軍演説をした斎藤隆夫の除名決議では不登院という形で棄権するなどした。
しかし、これを理由として社会大衆党を除名された。
除名後は十日会を結成したが間もなく解散。
衆議院倶楽部を経て、鳩山一郎率いる同交会に入った。
1942年(昭和17年)の翼 ……

片山哲が亡くなってから、46年と175日が経過しました。(16977日)

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