片山潜(かたやません)
社会主義活動家[日本]
1933年 11月5日 死去敗血症享年75歳
片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。
号は深甫。
25歳の片山潜。
1884年
生涯=
美作国久米南条郡羽出木村(後の弓削町、現在の岡山県久米郡久米南町羽出木)に庄屋藪木家の次男として生まれる。
幼名は菅太郎(すがたろう)。
1877年(明治10年)10月、神目村(現在の久米南町神目中)の親戚・片山幾太郎の養子となる。
この養子縁組は兵役忌避が目的だったと言われている。
安達清風の私塾で学んだのち、1880年(明治13年)に岡山師範学校(現在の岡山大学教育学部)に入学するが、翌1881年(明治14年)に退学して上京。
攻玉社にて塾僕として勤務し、1884年(明治17年)、友人岩崎清七に続いてアメリカ合衆国へ渡る。
岩崎とは、岡鹿門の私塾で塾僕をしていたときに知り合い、岩崎の故郷の森鴎村の塾僕を務めたり、潜に続いて岩崎も攻玉社で学ぶなど親しい間柄だった。
留学中も金欠の片山のためにイェール大学学友の大久保利武や松方幸次郎に寄付を頼んで仕送りするなど生涯にわたって支援した。
サンフランシスコ郊外サンラフェールという村の小さな家塾で皿洗いをして働く。
その後、サンフランシスコ下町の大工の家、ポノマの宿屋、アラメダの家庭にコックをして住み込む。
アラメダで中国人のキリスト教会に通い英語とキリスト教を学ぶ。
そして、 ……
片山潜が亡くなってから、91年と16日が経過しました。(33254日)