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野坂参三 氏(のさかさんぞう)

政治家[日本]

(日本共産党元名誉議長)

1993年 11月14日 死去享年102歳

野坂参三 - ウィキペディアより引用

野坂 参三(のさか さんぞう、1892年〈明治25年〉3月30日 - 1993年〈平成5年〉11月14日)は、日本の政治家、共産主義者。
衆議院議員(3期)、参議院議員(4期)。
コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記、議長、名誉議長などを務めたが、大粛清時代に同志の山本懸蔵らをNKVDに讒言密告して死刑に追いやっていたことが最晩年になって発覚し、日本共産党から除名された。
初名は小野 参弎(おの さんぞう)。
中国では岡野 進や林 哲とも称した。
ペンネームは野坂鉄嶺、野坂鉄など。
生涯= 生誕から延安入りまで= 山口県萩市の商家に生まれる。
3月30日生まれだったため参弎と名付けられた。
9歳で母の実家である野坂家の養子となり、野坂姓となる。
幣原内閣書記官長となった内務官僚・次田大三郎は江口定条の娘と結婚し、野坂参三の妻・龍の義兄(姉婿)になる。
明治31年、萩市の明倫尋常小学校入学。
山口県立萩中学(現・山口県立萩高等学校)、兵庫県立神戸商業学校(現・兵庫県立神戸商業高等学校)に進学。
在学中論文に「社会主義を論ず」を発表して教師からひどく叱責される。
明治45年、慶應義塾大学部理財科に入学し、在学中に友愛会や新人会に入り労働運動に参加する。
卒業後、常任書記となる。
1919年(大正8年)友愛会の派遣でイギリスに渡り、グレートブリテン共産党に参加する。
帰国後、第一次共産党結成に参加。
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野坂参三さんが亡くなってから、30年と343日が経ちました。(11301日)

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