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美濃部亮吉 氏(みのべりょうきち)

経済学者、東京都知事[日本]

1984年 12月24日 死去享年81歳

美濃部亮吉 - ウィキペディアより引用

美濃部 亮吉(みのべ りょうきち、1904年〈明治37年〉2月5日 - 1984年〈昭和59年〉12月24日)は、日本の経済学者、政治家。
東京都知事(第6・7・8代)、参議院議員(全国区)を歴任した。
1916年(大正5年):東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業 1921年(大正10年):東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業 1923年(大正12年):旧制第二高等学校卒業 1927年(昭和2年):東京帝国大学経済学部卒業。
東京帝国大学助手 1929年(昭和4年):東京帝国大学農学部講師(1932年まで) 1935年(昭和10年):法政大学教授 1938年(昭和13年):人民戦線事件で検挙され法大教授を辞任 翌年、信越化学工業の嘱託 1945年(昭和20年):毎日新聞論説委員を委嘱される 1946年(昭和21年):内閣統計委員会委員に任命 事務局長を兼任 1949年(昭和24年):東京教育大学教授を併任(1967年まで)翌年 経済安定本部参与に就任 1952年(昭和27年):行政管理庁統計基準部長(1956年まで) 知事選出馬前はNHKテレビ『やさしい経済教室』の解説者も務めており、お茶の間に名前が売れていた 1967年(昭和42年):東京都知事選挙に社会党・共産党推薦で立候補、自民党・民社党推薦の松下正寿立教大学総長、公明党推薦の阿部憲一渋沢海運社長を破り当選 1971年(昭和46年):社会・共産の推薦で出馬、自民党推薦の秦野章前警視総監を破り再選 1975年(昭和50年):社会・公明・共産の推薦で出馬、自民党推薦の石原慎太郎前代議士と民社党推薦の松下正寿を破り3選 1979年(昭和54年):四選不出馬を表明。

関連書籍

みのべりょうきち [生]1904.2.5.東京[没]1984.12.24.東京経済学者。東京都知事。美濃部達吉の長男。1927年東京大学卒業,ドイツに留学。35年帰国,法政大学教授となる。38年人民戦線事件で辞職,45年毎日新聞論説委員,46年内閣統計委員会事務局長,52年行政管理庁統計基準局長を経て,59年東京教育大学教授。67年4月社会,共産両党推薦で東京都知事に当選,71年4月再選。初の革新都知事として,福祉重点の施策を行い,「対話の都政」を標榜した。72年東京で世界大都市会議を開いた。75年都知事に3選されたが79年4月の都知事選挙には立候補せず辞職。80年6月の参議院選挙に全国区から立ち当選した。 (引用元 コトバンク)