小坂善太郎 氏(こさかぜんたろう)
政治家[日本]
2000年 11月26日 死去享年89歳
小坂 善太郎(こさか ぜんたろう、1912年〈明治45年〉1月23日 - 2000年〈平成12年〉11月26日)は、日本の政治家。
位階は正三位。
自由民主党の衆議院議員(16期)。
外務大臣(第83・84・99代)、経済企画庁長官(第23代)、国家公安委員会委員長(初代)、労働大臣(第8代)を歴任した。
来歴・人物=
大韓民国中央情報部(KCIA)の金鍾泌長官と小坂(1962年2月)
長野県長野市出身。
学習院を経て、1935年(昭和10年)に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業する(上田貞次郎ゼミナール)。
三菱銀行勤務や信越化学工業直江津工場長、同社取締役を経て、1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に長野1区(当時)から立候補し、初当選する。
以後、当選16回(当選同期に二階堂進・江﨑真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・村上勇・川崎秀二・井出一太郎・早川崇・中野四郎など)。
片山内閣で9か月間大蔵政務次官を務める。
1948年(昭和23年)、梅林組及び竹中工務店に対する融資問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。
吉田茂に目をかけられ、衆議院予算委員長や第5次吉田内閣で労働大臣を務めた。
1960年(昭和35年)、第1次池田勇人内閣で外務大臣に就任する。
アメリカと協調しながら、高度経済成長による経済大国の建設を目指す池田外交を大平正芳と共に推進した。
その後、経済企画庁長官や自民党政務調査会長、外交調査会長を歴任する。< ……
小坂善太郎さんが亡くなってから、23年と360日が経ちました。(8761日)