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伊東巳代治(いとうみよじ)

官僚、政治家、伯爵[日本]

1934年 2月19日 死去享年78歳

伊東巳代治 - ウィキペディアより引用

伊東 巳代治(いとう みよじ、安政4年5月7日〈1857年5月29日〉 - 昭和9年〈1934年〉2月19日)は、明治から昭和の日本の官僚、政治家。
大日本帝国憲法起草者の一人。
栄典は従一位勲一等伯爵。
生涯= 安政4年(1857年)、長崎町年寄・伊東善平の三男として長崎酒屋町で誕生。
早くから長崎英語伝習所でグイド・フルベッキに師事して英語を修め語学を修得。
明治4年(1871年)に明治政府の工部省の試験に合格して上京、電信技師となったが退職、 明治6年(1873年)に兵庫県に六等訳官として登用され、県令神田孝平から目をかけられた。
明治9年(1876年)に神田が元老院議員として上京する際に、伊東も再び上京することを決意。
神田の推薦で伊藤博文の知遇を得て工部省に出仕した。
伊藤の側近として事務作業に従事し明治11年(1878年)に内務省へ異動、明治13年(1880年)に太政官権少書記官、明治14年(1882年)に参事院議官補兼書記官を歴任した。
明治15年(1882年)に伊藤の欧州憲法調査に随行、翌16年(1883年)の帰国後は制度取調局御用掛も兼ね、明治18年(1885年)に第1次伊藤内閣が誕生すると首相となった伊藤の首相秘書官となった。
明治19年(1886年)から井上毅・金子堅太郎と共に大日本帝国憲法起草に参画。
明治21年(1888年)に伊藤が首相を辞任して枢密院議長に移ると枢密院書記官として引き続き伊藤に仕え、同年末から翌明治22年(1889年)1月の再検討を経て2月11日の大日本憲法公布に ……

伊東巳代治が亡くなってから、90年と275日が経過しました。(33148日)

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