有賀長雄(ありがながお)
法学者、社会学者[日本]
1921年 5月17日 死去享年62歳
有賀 長雄(ありが ながお、1860年11月13日(万延元年10月1日) - 1921年(大正10年)6月17日)は、日本の法学者・社会学者。
専門は国際法。
学位は、法学博士及び文学博士。
姓は「あるが」とも。
生前、1909年に日本人初のノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。
経歴=
摂津国大坂(現在の大阪府大阪市)で代々歌道を生業とする家系に生まれ、大阪英語学校・開成学校を経て明治15年(1882年)7月10日に東京大学文学部哲学科を卒業。
東大在学中には学資稼ぎに成立学舎で教師もしていた。
東京大学御用掛、同文学部准助教授、元老院御用掛、兼東京大学御用掛などを経て、明治19年(1886年)6月4日、元老院書記官となり、同年11月からヨーロッパに留学し、ドイツのベルリン大学で勉強、次いでオーストリアでウィーン大学教授ローレンツ・フォン・シュタインに国法学を学ぶ。
明治21年(1888年)6月20日に帰国し、明治22年(1889年)5月7日に枢密院書記官となり首相秘書官も兼ね、内閣に勤務しながら著述活動も展開。
明治25年(1892年)に農商務省特許局長に転属、日清戦争、日露戦争には法律顧問として従軍し、ハーグ平和会議には日本代表として出席している。
その後陸軍大学校、海軍大学校、東京帝国大学、慶應義塾大学、早稲田大学などで憲法、国際法を講じた。
明治36年(1903年)、帝室制度調査局副総裁伊東巳代治から総裁伊藤博文への推薦により同局御用掛とな ……
有賀長雄が亡くなってから、103年と188日が経過しました。(37809日)