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保利茂(ほりしげる)

政治家[日本]

1979年 3月4日 死去享年79歳

保利茂 - ウィキペディアより引用

保利 茂(ほり しげる、1901年〈明治34年〉12月20日 - 1979年〈昭和54年〉3月4日)は、日本の政治家。
衆議院議員(12期)、内閣官房長官(第8代・第33・34代)、衆議院議長(第59代)、労働大臣(第45・46代)、農林大臣(第19代)、自由民主党幹事長(第12代)、自由民主党総務会長(第7代)などを歴任した。
来歴・人物= 前半生= 佐賀県東松浦郡鬼塚村(現・唐津市)の零細農家に生まれる。
生家は貧しく、父親は車夫、母親や兄弟姉妹は野良仕事や養蚕、行商などで生計を立てていた。
保利は家の仕事を手伝いながら小学校に通った。
高等小学校を優等の成績で卒業したが、経済的な理由で中学への進学はかなわず、地元の唐津鉄工所の見習工になった。
3年間の見習工を終えて練習生になった17歳のとき、職場を飛び出し上京した。
東京では早大理工学部教授の西岡達郎に保証人になってもらい、専検に合格して軍の学校に入ることを目指した。
働きながら独学で勉強に励み専検に合格したが保利は軍人志望をあきらめ、働きながら学べるところとして、中央大学経済学部経済学科の夜間部に入学した。
苦学して中央大学を卒業後、報知新聞に入社。
中大教授の佐藤正之が先輩で報知の政治部長をしていた井上勝好を紹介してくれたことがきっかけだった。
当時、清浦内閣打倒の第二次憲政擁護運動が起こり、立憲政友会が政友本党と分離し憲政会総裁の加藤高明を首相とする護憲3派連立内閣が発 ……

保利茂が亡くなってから、45年と263日が経過しました。(16699日)

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