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後藤田正晴 氏(ごとうだまさはる)

政治家[日本]

2005年 9月19日 死去享年92歳

後藤田正晴 - ウィキペディアより引用

後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年〈大正3年〉8月9日 - 2005年〈平成17年〉9月19日)は、日本の警察官僚、政治家。
位階は正三位。
概説[編集] 内務省を経て警察官僚として昭和期の動乱にあたって治安維持に努め、第6代警察庁長官まで上り詰めた。
退官直後に田中角栄により抜擢され内閣官房副長官として田中政権を支えたが、参議院から国政に進出しようとしたことが「阿波戦争」に発展し、田中の権勢を弱めることとなった。
その後逆境を乗り越えて徳島県全県区から衆議院議員に選出され、以後7期務める。
この間に自治大臣(第27代)、国家公安委員会委員長(第37代)、北海道開発庁長官(第42代)、内閣官房長官(第45・47・48代)、行政管理庁長官(第47代)、総務庁長官(初代)、法務大臣(第55代)、副総理(宮澤改造内閣)などを歴任。
以後も晩年まで自由民主党の重鎮・御意見番として国政を支えた。
その辣腕ぶりから「カミソリ後藤田」、「日本のアンドロポフ」、「日本のジョゼフ・フーシェ」などの異名を取った。
来歴[編集] 生い立ち[編集] 1914年8月9日、徳島県麻植郡東山村(現在の吉野川市美郷)に後藤田増三郎とその妻ひでの四男として生まれる。
後藤田家は忌部氏の流れを汲む郷士の末裔とされており、江戸時代には庄屋を務めた家柄で、稼業として藍商とともに尾道で造り酒屋を営んでいた。
なお、後藤田は末っ子で、上に8人の兄姉がいたが、成人できたのは後 ……

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後藤田正晴さんが亡くなってから、18年と311日が経ちました。(6886日)