竹下登 氏(たけしたのぼる)
政治家、内閣総理大臣[日本]
2000年 6月19日 死去呼吸不全享年76歳
竹下 登(たけした のぼる、1924年〈大正13年〉2月26日 - 2000年〈平成12年〉6月19日)は、日本の政治家。
位階は正二位。
勲等は大勲位。
内閣総理大臣(第74代)、大蔵大臣(第84・86・87・90代)、建設大臣(第38代)、内閣官房長官(第35・38代)、内閣官房副長官(第1次佐藤内閣・第1次佐藤第1次改造内閣)、通商産業政務次官(第3次池田内閣)、衆議院予算委員長、衆議院議員(14期)、島根県議会議員(2期)、自由民主党総裁(第12代)、同幹事長、同幹事長代理、同青年局長を歴任した。
異母弟は、自身の秘書を経て復興大臣、自由民主党総務会長、平成研究会会長、衆議院議員などを務めた竹下亘。
概説=
自由民主党の最大派閥であった経世会の創設者。
大蔵大臣を4期務め、金融引締め、円高推進、対米輸出削減、対米輸入増加、対米投資を進める歴史的な合意であるプラザ合意を結び、総理大臣就任後は消費税を導入。
日本の内需縮小へ舵を切った。
他にふるさと創生1億円なども行った。
リクルート事件により総辞職。
その後も政界に大きな影響力を誇り、「経世会支配」の時代を築いた。
昭和最後の内閣総理大臣であり、平成改元の際の内閣総理大臣でもある。
生涯=
生い立ち=
島根県飯石郡掛合村(現・雲南市)に父・竹下勇造、母・唯子の長男として生まれた。
竹下家は300年続く旧家で、江戸時代には庄屋を務め、幕末の1866年から代々造り酒屋を営んできた。
登は竹下家12 ……
竹下登さんが亡くなってから、24年と155日が経ちました。(8921日)