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梶山静六 氏(かじやませいろく)

政治家[日本]

2000年 6月6日 死去閉塞性黄疸享年75歳

梶山静六 - ウィキペディアより引用

梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月27日 - 2000年〈平成12年〉6月6日)は、日本の政治家。
位階は正三位。
内閣官房長官(第60・61代)、法務大臣(第52代)、通商産業大臣(第49代)、自治大臣(第36代)、国家公安委員会委員長(第46代)、衆議院議員(9期)、自由民主党国会対策委員長(第35代・37代)、自由民主党幹事長(第29代)を歴任した。
竹下派七奉行の1人に数えられる。
人物・来歴= 県議会議員= 茨城県出身。
茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)、陸軍予科士官学校、陸軍航空士官学校(59期・軍曹)卒業後、日本大学工学部土木工学科卒業。
家業の石材業を継ぐ。
1955年に茨城県議会議員選挙に当選。
初当選から暫く後の1958年総選挙では、川崎三蔵派の運動員として買収に関わったとして逮捕。
起訴されるが弁護側の証人だった川崎の秘書が、「買収したのは自分で梶山は無関係」と証言したことで無罪となった。
1966年に茨城県議会黒い霧事件が表面化した際にも、逮捕された外岡佐近県議が「梶山から現金を貰った」と証言したことから梶山も取り調べを受けた。
だが外岡は水戸地検送検後に「西野(=恒郎県議)から貰った」と証言を翻したため梶山の立件を断念。
県議会は自主解散に追い込まれ、出直し県議選の後の新県議会で県議会議長に選出される。
田中派・竹下派= 県議会議長就任後、茨城県を訪れた田中角栄から直接国政進出 ……

梶山静六さんが亡くなってから、24年と168日が経ちました。(8934日)