渡部恒三 氏(わたなべこうぞう)
政治家[日本]
(自民党・新進党・民主党などを渡り歩く。)
2020年 8月23日 死去享年89歳
渡部 恒三(わたなべ こうぞう、1932年〈昭和7年〉5月24日 - 2020年〈令和2年〉8月23日)は、日本の政治家。
元の姓名は、渡部 恒蔵(読み同じ)。
正三位、勲一等旭日大綬章。
衆議院議員(14期)、衆議院副議長(第60・61代)、厚生大臣(第63代)、自治大臣(第39代)、国家公安委員会委員長(第49代)、通商産業大臣(第53代)、自由民主党国会対策委員長(第32代)、新進党政務会長(第2代)兼国会運営委員長(第2代)、同総務会長(初代)、無所属の会代表(第3代)、民主党国会対策委員長(第11代)、同最高顧問、復旦大学経済管理学院名誉教授などを歴任。
自由民主党所属時は竹下派七奉行の1人だった。
経歴=
青年時代=
福島県南会津郡田島町(現・南会津町)出身。
祖父は「明治政府ができて最初の国会議員」であったという。
父・渡部又左衛門は福島県議会議員や福島県田島町長を務めた。
父の死後、又左衛門を襲名した長兄は福島県田島町長を2期務めている。
小室直樹は福島県立会津高等学校時代の同級生。
早稲田大学在学中は雄弁会に所属。
同期会員に藤波孝生がいた。
また、同じ学部の2年先輩に政治評論家の三宅久之がいた。
また、野球部に在籍していた福嶋一雄、広岡達朗を故郷に招き、二人に自らの母校である会津高校野球部のコーチを依頼した。
その縁で広岡とは現在でも親交が深い。
政治家への道=
自由党の石橋湛山の私設秘書となったが、20歳になって初 ……
渡部恒三さんが亡くなってから、4年と90日が経ちました。(1551日)