西岡武夫 氏
政治家、参議院議長[日本]
2011年 11月5日 死去肺炎享年75歳
西岡 武夫(にしおか たけお、1936年〈昭和11年〉2月12日 - 2011年〈平成23年〉11月5日)は、日本の政治家。
従二位桐花大綬章。
衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)、文部政務次官(第3次佐藤内閣)、新自由クラブ幹事長、文部大臣(第111・112代)、自由民主党総務会長、新進党幹事長、参議院議長(第28代)などを歴任。
来歴・人物=
自民党から新自由クラブへ=
1963年(昭和38年)11月、衆議院議員を5期務めた父・竹次郎と、吉田茂が率いる自由党初の女性参議院議員として婦人参政権運動に尽力した母・ハルの地盤を引継いだ世襲候補として第30回衆議院議員総選挙に無所属で立候補。
4位当選を果たし、自民党の追加公認を受ける。
前職の国会議員である母とともに初登院した。
当初は三木派に所属し、自民党青年局長、文教部会長をつとめていた。
ロッキード事件を期に、衆議院議員の河野洋平、田川誠一、山口敏夫、小林正巳、参議院議員の有田一寿と共に、6人で自民党を離党。
1976年(昭和51年)6月25日に「保守政治の刷新」を掲げて新自由クラブを結党し、西岡は幹事長に就任した。
新自由クラブは、結成直後の第34回衆議院議員総選挙で、自民党に不満を持っていた保守層の受け皿になる形で、一挙に17人を当選させた(さらに追加公認1人)。
しかし、政策、党の路線をめぐり、野党として革新にも配慮を示す河野や田川と、あくまで保守主義を念頭に置く西岡、山口らとの間に亀裂が生 ……
参院議長の西岡武夫(にしおか・たけお)氏が5日午前2時24分、肺炎のため都内の病院で死去した。75歳だった。長崎市出身。葬儀は7日午後1時から長崎市茂里町3の31の法倫会館で。喪主は妻永子(ひさこ)さん。 10月20日召集された今臨時国会は、口内にできた帯状疱疹(たいじょうほうしん)による体調不良を理由に、開会式を含めて欠席していた。参院事務局によると、現職の参院議長の死去は1949年11月の松平恒雄氏以来2人目。 西岡氏の後任について民主党の輿石東幹事長は5日午前、記者団に「議長が空席ということは許されない。早急に対応していく」と述べ、人選を急ぐ考えを示した。 西岡氏は早大教育学部卒。在学中から新聞社経営に関わり、63年の衆院選旧長崎1区で初当選。ロッキード事件をきっかけに河野洋平前衆院議長らとともに自民党を離党し、76年に新自由クラブを結成した。80年に自民党に復党した後、竹下改造、宇野両内閣で文相を務め、党の税制調査会長、総務会長などを歴任した。 93年に再び自民党を離党し、新進党に参加。同党解党後は自由党に加わった。98年に長崎県知事選に出馬したが落選。2000年衆院選でも落選した後、01年参院選比例代表にくら替え出馬して当選。03年の民主、自由両党の合流に伴い民主党入りした。新進党結成以降は小沢一郎氏と行動を共にした。10年7月に参院議長に就任。東日本大震災への政府対応を批判し、当時の菅直人首相の退陣を公然と求めた。衆院当選11回、参院2回。 (2011/11/05-10:58)
西岡武夫さんが亡くなってから、13年と17日が経ちました。(4765日)