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山中貞則 氏(やまなかさだのり)

政治家[日本]

2004年 2月20日 死去享年84歳

山中貞則 - ウィキペディアより引用

山中 貞則(やまなか さだのり、1921年〈大正10年〉7月9日 - 2004年〈平成16年〉2月20日)は、日本の政治家。
鹿児島県囎唹郡末吉村大字深川(現曽於市)出身。
位階勲等は正三位勲一等。
称号は沖縄県名誉県民、竹富町名誉町民。
衆議院議員(17期)、沖縄開発庁長官(初代)、防衛庁長官(31代)、自由民主党政務調査会長(23代)、通商産業大臣(41代)などを歴任した。
税制のスペシャリストとして長年にわたり自民党税調に君臨し、「税調のドン」と呼ばれた。
ニックネームは「ヤマサダ」、「ヤマテイ」。
浜田幸一や一部の官僚達からは「テイソク」と呼ばれた。
来歴[編集] 旧制都城中学校(現・宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)、台湾・台北第二師範学校を卒業後、高雄州の国民学校で教職を務める。
その後出征し、1946年に復員。
師範学校時代の教師に屋良朝苗(後の琉球政府行政主席・沖縄県知事)がいた。
郷里に戻り南日本新聞記者、鹿児島県議会議員を経て、1953年の第26回衆議院議員総選挙に旧鹿児島3区から自由党公認で出馬して初当選。
1955年(昭和30年)、保守合同で自由民主党結党に参加。
河野一郎の河野派に入会。
1958年(昭和33年)、岸内閣で大蔵政務次官に就任(当時の森永貞一郎大蔵事務次官らがこの人事を覆そうと試みたが失敗に終わった)。
感激した山中は財政や税制に関する勉強に励み、当時品目ごとに利害が複雑に絡み合って税率の設定は困難であると ……

推定関連画像

山中貞則さんが亡くなってから、20年と158日が経ちました。(7463日)