芸能人・経営者のおくやみ情報

小里貞利 氏(おざとさだとし)

政治家、元労相[日本]

2016年 12月14日 死去肝不全享年87歳

小里貞利 - ウィキペディアより引用

小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17日 - 2016年(平成28年)12月14日)は、日本の政治家。
位階は正三位。
衆議院議員(9期)、自由民主党総務会長(第41代)、自由民主党国会対策委員長(第39代)、労働大臣(第55代)、北海道開発庁長官(第61代)・沖縄開発庁長官(第30代)、阪神・淡路大震災復興対策担当大臣(初代)、総務庁長官(第21代)、中央省庁改革等担当大臣(第3代)、宏池会会長、鹿児島県議会議員(6期)を歴任した。
国政進出以来一貫して整備新幹線事業に携わり、「ミスター新幹線」の異名を取った。
長男は衆議院議員の小里泰弘。
来歴・人物[編集] 鹿児島県霧島町(現霧島市)出身。
旧制鹿児島県立加治木中学校から学制改革によって鹿児島県加治木高等学校となった同校を1949年(昭和24年)に卒業。
地域の復興のため青年団活動に尽力し、1954年(昭和29年)と1955年(昭和30年)には鹿児島県青年団協議会会長を務める。
1959年(昭和34年)、鹿児島県議会議員選挙に立候補し、初当選。
以後6回連続当選を果たし、1975年(昭和50年)からは県議会議長も務め1979年には全国都道府県議会議長会会長に就任。
1979年(昭和54年)の6選後間もなく県議を辞職。
第35回衆議院議員総選挙に旧鹿児島2区から自由民主党公認で立候補し、当選した。
宏池会に所属し、宮澤喜一らに代表される官僚出身者が多い同派にあっては数少ない党人派であり、長らく田中六助に師事 ……

推定関連画像

小里貞利さんが亡くなってから、7年と225日が経ちました。(2782日)