村岡兼造 氏(むらおかかねぞう)
元政治家[日本]
(元官房長官)
2019年 12月25日 死去がん享年89歳
村岡 兼造(むらおか かねぞう、1931年〈昭和6年〉8月27日 - 2019年〈令和元年〉12月25日)は、日本の政治家。
位階は正三位。
勲一等旭日大綬章。
秋田県本荘市(現・由利本荘市)出身。
血液型はB型。
衆議院議員(9期)、郵政大臣(第50代)、運輸大臣(第64代)、内閣官房長官(第62代)、自由民主党国会対策委員長(第34代、第42代)、自由民主党総務会長(第42代)、平成研究会会長代理を歴任した。
来歴・人物=
秋田県議会議員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。
1976年の総選挙で落選したが3年後の1979年の衆院選で政界復帰を果たす。
宇野内閣で郵政大臣で初入閣、第2次海部改造内閣で運輸大臣を務めた。
竹下派時代は中西啓介と共に小沢一郎の側近として知られていたが、1992年の東京佐川急便事件で竹下派が分裂すると、中堅議員の中村喜四郎・西田司・佐藤信二らとともに反小沢の急先鋒となって小渕恵三を後継会長に擁立した。
その後は、小渕派幹部として1995年から1997年まで総裁・橋本龍太郎の下で自民党国会対策委員長、同年9月発足した第2次橋本改造内閣では梶山静六の後任として内閣官房長官に就任した。
1998年7月の第18回参議院議員通常選挙では惨敗し、官房長官を退任した。
2000年、総裁・森喜朗の下で自由民主党総務会長に就任し、2001年4月に退任。
2003年の自由民主党総裁選挙にて橋本派は藤井孝男を擁立したが、村岡は橋本派の会長代理であり ……
村岡兼造さんが亡くなってから、4年と332日が経ちました。(1793日)