武藤嘉文 氏(むとうかぶん)
政治家、元外相[日本]
2009年 11月4日 死去膵臓がん享年84歳
武藤 嘉文(むとう かぶん、1926年〈大正15年〉11月18日 - 2009年〈平成21年〉11月4日)は、日本の政治家。
位階は正三位。
自由民主党所属の衆議院議員、農林水産大臣(第3代)、通商産業大臣(第51代)、外務大臣(第115代)、総務庁長官(第19代)を歴任した。
来歴=
岐阜県各務原市出身。
岐阜中学 (旧制)、富山高校 (旧制)卒業。
中国・上海の東亜同文書院大学に入学するが、一時帰国中に同校が敗戦によって閉校したため、戦後、京都大学法学部に転入学する。
在学中は当時大学の総長だった瀧川幸辰に師事していた。
1951年(昭和26年)、京都大学法学部卒業。
ファミリー企業の武藤醸造(菊川株式会社、後にヒシノ)に入社する。
同社副社長を経て、1959年(昭和34年)に武藤本店社長に就任。
1967年(昭和42年)、第31回衆議院議員総選挙に旧岐阜1区から自民党公認で立候補し7万3733票を獲得し2位当選。
以後13回連続当選を果たした(当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)。
田中内閣では自治政務次官を務め、1978年(昭和53年)には自由民主党副幹事長に就任する。
渡辺美智雄の側近として知られ、1979年(昭和54年)の四十日抗争では渡辺とともに非主流派に与した派閥会長である中曽根康弘から離反し、中曽根派を離脱。
大平正芳首相支持に回った。
11月9日に成立した第2次大平内閣 ……
武藤嘉文さんが亡くなってから、15年と17日が経ちました。(5496日)