浅沼稲次郎(あさぬまいなじろう)
政治家、日本社会党書記長[日本]
1960年 10月12日 死去刺殺享年61歳
浅沼 稲次郎(あさぬま いねじろう、旧字体: 淺沼 稻次󠄁郞、1898年〈明治31年〉12月27日 - 1960年〈昭和35年〉10月12日)は、日本の政治家。
東京府神着村(現在の東京都三宅村)出身。
日本社会党書記長、委員長を歴任。
巨体と大きな声で全国を精力的に遊説する姿から、「演説百姓」「人間機関車」の異名を取り、また「ヌマさん」の愛称で親しまれた。
1960年10月12日(水曜日)、日比谷公会堂で行なわれた3党首立会演説会の演説中に、右翼活動家の山口二矢(17歳)に刺され死亡した(浅沼稲次郎暗殺事件)。
経歴=
生い立ち=
1898年(明治31年)12月28日、東京府神田区(現千代田区)に生まれる。
父は三宅島神着村の名主・浅沼半次郎(1861年 - 1951年)、母は妾の浅岡よし。
母・浅岡よしは三宅島で稲次郎を育て、13歳頃まで島で暮らした。
稲次郎の回想録では、幼少期のエピソードとして、いたずらをした際に母に激しく叱られ、恐怖のあまり外に逃げ出し、帰宅後も俵の中に隠れたと記している。
母は厳しくも献身的な女性で、島の質素な環境で一人で育てたと振り返っている。
父・半次郎は後に東京府南葛飾郡砂村(現東京都江東区)で酪農業を始め、稲次郎の母とは別の女性・井上ヒサと再婚。
稲次郎を正式に実子として認知し、東京へ引き取った。
父は三宅島の村長として徴兵検査を執行する立場にあったが、息子の思想的問題に悩み、辞職を考えるほどだった。
東京府立第三 ……
浅沼稲次郎が亡くなってから、65年と156日が経過しました。(23897日)



