早坂茂三 氏(はやさかしげぞう)
政治評論家[日本]
2004年 6月20日 死去肺がん享年75歳
早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2004年6月20日)は、日本の政治評論家。
田中角栄の政務秘書を23年間務めた。
「日本列島改造論」の名付け親でもある。
秘書辞任後は、多くの著書を出版した。
来歴・人物=
北海道函館市恵比須町出身。
生家は呉服屋を営み、旧制北海道庁立函館中学校(現北海道函館中部高等学校)を経て旧制弘前高等学校を卒業後、早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学。
早大時代の友人に行天豊雄(後の財務官)がいる。
大学時代は学生運動にのめりこみ、一時日本共産党にも入党した。
1955年に同大卒業。
学生の頃からいずれは新聞記者になろうと思い、新聞社の入社試験を受けるが、朝日新聞は年齢制限で受けられず、読売新聞では最終面接の13人の中の1人に残るが、前歴が前歴だけに思想調査ではねられ、名も知らぬ新聞社だった東京タイムズに拾われた。
政治部記者として最初の仕事は岸信介の番記者、次に日本社会党記者クラブに行き、安保闘争の後、自民党の佐藤派を担当。
田中角栄と知り合う。
1962年12月、大蔵大臣の田中に呼ばれ、「オレは10年後に天下を取る。
お前が学生時代、赤旗を振っていたことは知っている。
そんなことは構わない。
天下を取ろうじゃないか。
一生一度の大博打だが、負けて、もともとだ。
首まではとられない。
どうだい、一緒にやらないか」と誘われ、同月10日、大蔵大臣秘書官事務取扱に就任。
……
早坂茂三さんが亡くなってから、20年と166日が経ちました。(7471日)