石井紘基 氏(いしいこうき)
衆議院議員[日本]
2002年 10月25日 死去刺殺享年62歳
石井 紘基(いしい こうき、1940年〈昭和15年〉11月6日 - 2002年〈平成14年〉10月25日)は、日本の財政学者、政治家。
民主党などで衆議院議員(3期)、総務政務次官(羽田内閣)として活動。
国会で政府支出の無駄遣いに厳しく切込み、とくに特別会計について詳細な研究を行った。
統一教会、オウム真理教等のカルト宗教問題にも取り組んでいた。
来歴=
生い立ち=
東京市世田谷区代沢で、明治薬科大学及び女子栄養大学の教授を歴任した父・嘉四郎と実践女子学園教員の母・緯子の長男として生まれる。
世田谷区立池之上小学校、成城学園中学校高等学校卒業。
中央大学法学部に入学、安保闘争に参加。
国会に突入するデモ隊の先頭にいた石井は、ほぼすべての国会議員が逃げ出す中で、一人デモ隊の目の前まで出て行き騒乱の最前線に出向き警官を抑えようとする日本社会党書記長の江田三郎を見、このことを契機として政治家を目指した。
政治活動開始=
江田三郎に傾倒し、彼の後を追い、社会党の活動に参加した。
中央大学自治会委員長になる等、学生運動のリーダーとなった。
早稲田大学大学院法学研究科を経て、1965年に社会党本部勤めからモスクワ大学大学院に留学、留学中に出会ったナターシャと結婚。
大学院を修了すると1971年に帰国し、江田三郎の息子の江田五月の秘書となる。
江田五月とは学生運動時代からの友人である。
1977年に三郎が社会党を離党したとき、いち早く馳 ……
石井紘基さんが亡くなってから、22年と42日が経ちました。(8078日)