麻生久(あそうひさし)
政治家、労働運動家[日本]
1940年 9月6日 死去心臓麻痺享年49歳
麻生 久(あそう ひさし、1891年〈明治24年〉5月24日 - 1940年〈昭和15年〉9月6日)は、大正・昭和期の政治家・労働運動家。
戦前の無産政党・社会大衆党の党首を務めた。
日本の政治家麻生 久あそう ひさし
生年月日
(1891-05-24) 1891年5月24日出生地
大分県玖珠郡東飯田村(現・九重町)没年月日
(1940-09-06) 1940年9月6日(49歳没)出身校
東京帝国大学仏法科卒業所属政党
(労働農民党→)(日本労農党→)(日本大衆党→)(全国大衆党→)(全国労農大衆党→)(社会大衆党→)無所属子女
長男・麻生良方(元衆議院議員) 衆議院議員選挙区
東京都第5区当選回数
2回在任期間
1936年2月20日 - 1940年9月6日テンプレートを表示
来歴・人物=
大分県玖珠郡東飯田村(現:九重町)生まれ。
旧制大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)、1913年第三高等学校を経て、1913年東京帝国大学仏法科に入学。
学生時代はトルストイ、ツルゲーネフなどロシア文学に熱中し、これがロシア革命に関心を寄せる契機となった。
また女性関係も派手であったといわれている。
東大卒業後の1917年、東京日日新聞(現:毎日新聞)に入社(後に退社)。
翌1918年には東日紙上に「ピーターからレーニンまで」を連載しロシア革命を支持した。
また同年には吉野作造らを担いで大正デモクラシーの啓蒙組織である「黎明会」を創設し、新渡戸稲造・大山郁夫・小泉信三・与謝野晶子ら錚々たる知識人・文化人を参加させた。
木曜 ……
麻生久が亡くなってから、84年と76日が経過しました。(30757日)