ダグラス・マッカーサーDouglas MacArthur
軍人、GHQ最高司令官[アメリカ]
1964年 4月5日 死去腎機能・肝機能障害享年84歳
ダグラス・マッカーサー(英語: Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人。
ウェストポイントアメリカ陸軍士官学校を主席で卒業し、その後はアメリカ陸軍のエリート軍人として、セオドア・ルーズベルト大統領軍事顧問補佐官、陸軍長官副官・広報班長、ウェストポイントアメリカ陸軍士官学校長、アメリカ陸軍参謀総長などアメリカ陸軍の要職を歴任した。
戦争でも勇名を轟かせ、第一次世界大戦と第二次世界大戦(太平洋戦争)に従軍して、抜群の戦功を挙げていった。
特に太平洋戦争では、大戦序盤のフィリピンの戦いで大日本帝国軍に敗れオーストラリアに撤退し、敵前逃亡の汚名を着せられたが、「I shall return(私は必ず帰ってくる)」の約束を果たし、日本軍からフィリピンを奪還して「アメリカ合衆国が生んだ最も有能な軍人」としての勇名を欲しいままにした。
太平洋戦争終戦後は連合国軍最高司令官として日本に進駐し、昭和天皇・マッカーサー会見を経て、日本の実質的な支配者として、経済、政治、社会の抜本的な変革を指揮し、日本国憲法の起草にも大きな影響を及ぼした。
冷戦の激化により開戦となった朝鮮戦争でも、マッカーサーは国連軍を率いて仁川上陸作戦を敢行し、朝鮮人民軍を追い詰めたが、中国人民志願軍の参戦とソ連空軍の介入により敗退し、38度線を挟んでの膠着状態となり、この後の朝鮮半島の情勢にも大きな影響を与えた。
朝 ……
ダグラス・マッカーサーが亡くなってから、60年と209日が経過しました。(22124日)