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上田利治 氏(うえだとしはる)

プロ野球選手、監督[日本]

2017年 7月1日 死去肺炎享年81歳

上田利治 - ウィキペディアより引用

上田 利治(うえだ としはる、1937年1月18日 - 2017年7月1日)は、徳島県海部郡宍喰町(現:海陽町)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
経歴[編集] プロ入り前・現役時代[編集] 実家は魚屋。
5人兄弟の長男で、叔父は徳島県弁護士会の副会長であった。
上田の徳島の実家のすぐ近くには、高校の後輩となる元西鉄選手でプロゴルファーの尾崎将司、その実弟でゴルファーの健夫・直道の実家があった。
海南高校時代から捕手で、3年次の1954年には夏の甲子園県予選で準々決勝に進出するが、撫養高に惜敗。
学業成績も優秀で、高校時代は野球の練習と生徒会の活動を同時に行いつつ、毎朝しっかりと勉強していたため、睡眠時間は4時間程度であったという。
担任からは「野球なんかやらずに、東大へ行って弁護士になれ」と勧められ、上田も高校卒業後の1955年、弁護士になるつもりで関西大学二部法学部に進学。
関西大には学校推薦で無試験で進学するよう薦められたが、上田はそれを断り筆記試験に臨んだところ、400点満点の入試で実力で合格に十分な298点を取ったところに野球推薦での+100点のボーナスを加えた結果398点となり、受験生全体でダントツの成績になってしまったという。
野球部では村山実とバッテリーを組んで活躍し、関西六大学野球リーグでは4度の優勝を経験。
2年次の1956年には全日本大学野球選手権大会に出場。
1年上の三塁手、難波昭二郎ら強力打線の ……

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上田利治さんが亡くなってから、7年と26日が経ちました。(2583日)