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順治帝

清朝第3代皇帝[清]

(順治18年正月7日没)

1661年 2月5日 死去天然痘享年24歳

順治帝 - ウィキペディアより引用

順治帝(じゅんちてい)は、清の第3代皇帝。
諱はフリン(満洲語: ᡶᡠᠯᡳᠨ 福臨 日本語読み:ふくりん)、廟号は世祖。
在世時の元号順治を取って順治帝と呼ばれる。
入関後(中国支配の開始後)の清の土台を確固たるものとし、次代の康熙帝・雍正帝・乾隆帝の三世の春、いわゆる康雍乾盛世の黄金時代を導く役割をした。
なお、現在中国を支配している中国共産党は初代ヌルハチと第2代ホンタイジを清の前身である後金の皇帝とし、順治帝を清の初代皇帝と位置付けている。
生涯= 即位まで= ホンタイジの第9子として生まれる。
母は永福宮荘妃(ボルジギト氏)。
崇徳8年(1643年)、ホンタイジが急病で遺言を残さずに崩御した。
後継として、最初はホンタイジの兄ダイシャンが候補に挙がったが人望がなく、自ら辞退した。
ホンタイジの長子の粛親王ホーゲは有力な候補であったが、ホンタイジの弟でホーゲより年少の睿親王ドルゴンを推す一派がより優勢であった。
ドルゴンはホーゲ一派との全面衝突を避け、ホーゲの異母弟である6歳のフリンを皇帝に推した。
フリンを皇帝にすれば、ホーゲの帝位継承の目は完全に潰れる。
ホンタイジの実子に帝位を継がせることには変わりないので、多くの貴族が納得する。
6歳のフリンなら自分が制御できる。
という計算だった。
結果、フリンが皇帝に推戴され、ドルゴンと、ヌルハチの弟の息子ジルガランが摂政となった。

順治帝が亡くなってから、363年と286日が経過しました。(132872日)

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