門田博光 氏(かどたひろみつ)
元プロ野球選手[日本]
2023年 1月23日 死去享年76歳
門田 博光(かどた ひろみつ、1948年〈昭和23年〉2月26日 - 2023年〈令和5年〉1月24日〈遺体発見日、詳細はこちらを参照〉)は、山口県小野田市(現:山陽小野田市)生まれ、奈良県五條市出身のプロ野球選手(外野手、指名打者)・監督、解説者・評論家。
通算本塁打数、通算打点数、ともにNPB歴代3位。
選手時代の晩年にも目覚ましい活躍をしたことから「不惑の大砲」の異名を持ち、「中年の星」とも呼ばれていた。
また、力強い打撃力から「ポパイ」とも呼ばれていた。
経歴=
プロ入り前=
山口県小野田市に5人兄弟の三男として生まれる。
門田が幼い頃、父が貿易関係の仕事に失敗し、一家で奈良市に移り、つつましい家庭で育つ。
五条中学から天理高校に進み野球部に入部。
4番打者、中堅手として、同期のエース外山義明を擁し活躍。
1964年・秋季近畿大会県予選では4校による決勝リーグに進むが、1勝2敗に終わる。
翌1965年夏の甲子園県予選決勝に進出。
白滝政孝投手のいた郡山高を2-0で破る。
続く紀和大会決勝でも県和歌山商を3-1で降し甲子園に出場。
1回戦で小山健二(日本コロムビア)を擁する丸子実に9回に逆転され1-3で敗退。
なお高校時代の三年間で本塁打は一本も打てなかった。
卒業後は外山とともに社会人野球チームのクラレ岡山硬式野球部に進む。
就職した倉敷レーヨン岡山工場では、靴の製作業務に携わり、月収は1万5千円だった。
1966年から都市対抗野球大会 ……
門田博光さんが亡くなってから、1年と267日が経ちました。(632日)